
+ HELLO! Magazine May.29 2007 +
17歳のとき、ジョシュ・グローバンが歌を披露する相手はクラスメートぐらいに限られていた。
ある日、マイケル・クロフォードが体調を崩し、いくつものグラミー賞を獲得しているプロデューサー、デヴィッド・フォスターは、マイケルの代役としてにカリフォルニア州知事就任式の2万5千人の観衆の前で「オペラ座の怪人」の"All
I Ask of You"を歌う歌手を直前になって探さなくてはならなくなった。
ジョシュのボイスコーチが、若い弟子を推薦した。
8年以上経った今でも、ジョシュはその手荒い洗礼に感嘆せずにはいられない。
「(あの緊張の中で)どうやって舌を口蓋にくっつけずに歌えたのか、未だにわからないよ。」26歳になったLA育ちの彼は言う。
彼はそう言うが、彼の美しいバリトンは見事だったに違いない。なぜなら、ほんの数週間後、デヴィッド・フォスターは彼をスターだらけのグラミー賞のリハーサルに招いたからだ。
それも、空港で立ち往生していたアンドレア・ボチェッリの代役に、セリーヌ・ディオンのデュエット相手として。
「僕たちの順番は、レイ・チャールズの後、BBキングの前だった。前回と同じで、僕はぎこちない、ダサイ代役だったんだ。幸運だったのは、セリーヌがこれ以上ないくらい良い人で、理解のある人だったこと。僕の手はガタガタ震えていて、紙に書いてある歌詞を読むことさえままならなかったので、彼女は腕を回して僕を寄り掛からせ、しっかりと腕を支えてくれたんだ。」
その後の話は有名だ。彼の1stアルバムと2ndアルバムは、フォスターの指揮のもとに製作され、1500万枚も売り上げた。その中の1曲You
Raise Me Upは、USチャートのトップを記録した。(その後Westlifeが自身最高売上となる別バージョンのYRMUをリリースしている。)
「あの曲は現代の賛歌になりつつある。」とジョシュは言う。
「今後100年の間に、100人のアーティストたちによって、100通りの歌い方で歌い継がれていくと思うよ。」
ジョシュ・バージョンのYRMUは一夜にして彼をスターの座に押し上げた。しかし、彼にレッテルを貼らないでほしい。
「クロスオーバーのアーティストって言われてしまうのは、あまり嬉しくないんだ。」彼は言う。
「『Popera(ポップスとオペラを組合わせた言葉)』に分類されるのも好きじゃない。全部ポップスだよ。僕はラジオヘッドやポール・サイモン、スティングからピーター・ガブリエルやビョークまで、色んなアーティストから影響を受けているんだ。人々が知り得なかった世界を見せてきたアーティストたち。クラシックの作曲家たちだって僕は大好きだよ。」
ジョシュと弟のクリス(22歳、映像専攻の学士)は、ヘッドハンターのジャック(ジョシュによると「トランペットはなかなかの腕前」らしい)と元美術教師のリンディの間に生まれた。
「僕の両親は近所でショーがあるたびに僕を連れて行ってくれた。僕は将来ミュージカル俳優になると思っていたんだ。でもある日、「宝くじを引き当てた」っていうのかな。そして今の僕がある。」
まだ駆け出しのうちのに、ジョシュは既に何人かの大物とのデュエットを果たしている。セリーヌ・ディオンだけでなく、レコーディングスタジオで偶然会ったという、バーブラ・ストライザンドとも。
「彼女は”Duets”というアルバムを作っていて、あと1曲、"All I Know of Love"のレコーディングが残っていた。そして僕と一緒に歌うことを快諾してくれたんだ。まるで上級者クラスに参加したような感じだったよ。」
彼はそれ以外にも、アンドレア・コアー(「あまりに美人で、もう少しでベッドルームに彼女のポスターを飾るところだった」)、サラ・ブライトマン(「ものすごい音域の持ち主」)、シャルロット・チャーチ(「とても快活で、楽しかった」)と歌ったこともある。
そんな彼自身も今やちょっとしたベテランになり、本格的にイギリス市場を開拓しようとしている。2005年10月のロンドン・ハマースミス・アポロでのコンサートは売り切れとなった。そして彼は今コンサートツアーに戻ってきている。コンサートが行われるのはバーミンガム、マンチェスター、グラスゴー、ダブリン、そして6月6日のハンプトン・コート・フェスティバルだ。また、6月初旬に「ポール・オグレディ・ショー」などいくつかのTV出演を予定している。
